【漫画】トリコは何故釘を食べるのか【考察】
Wow wo!! 釘パンチ
— うにうーに🧡🏝 (@uninchang) 2020年9月10日
Wow wo!! 釘パンチ
Wow wo!! 釘パンチ
Wow wo!! 釘パンチ
Wow wo!! 釘パンチ
Wow wo!! 釘パンチ
どんな釘も食える
Wow wo!! 釘だけの
Wow wo!! フルコース
Wow wow wow 釘を食え!!
Wow wow wow トリコ!!
Wow wow wow 釘を食え!!
トリコ‼︎ 釘を食えトリコ!!‼︎‼︎釘を食え‼︎
トリコは、何故釘を食うのだろうか。
釘の可食性については語るまでもない。「釘は食べることができない」という固定観念が間違っている。
トリコはマグマをも飲む。甲殻類を殻ごと食べる。
であれば、釘くらいであれば問題なく喉を通るだろう。
そもそも、トリコが釘を食べている以上、作中世界で釘は「食材」として扱われている、と考えるのが妥当である。
小さいサイズであれば、菓子のように一掴みして口に放り込むだろう。大きいサイズであれば「BBコーン」のように固い外皮を剥いて中の柔らかい部分だけを食べるのかもしれない。
このように、「釘がどのように食されているか」を考察する価値はあれど、釘の可食性については語る必要が無い。釘を食べている以上、釘は食べられる。
しかし、トリコは「美食屋」である。であれば「釘は美味しい」もしくは「栄養源として重宝する」など、何らかの魅力が釘にはあるはずである。
しかし、忘れてはならないのは、釘は消化されない。wikipediaの「異食症(栄養価の無いものを無性に食べたくなる症候)」のページでは、異食症患者の食する対象として「釘」が挙げられているくらいである。
となると、まず釘食は栄養補給のために行っているのではない、ということになる。
では、釘は美味しいのか。
シンプルな話、トリコが「美味しい」「栄養源」のどちらかの理由で食事をしており、そして釘に栄養が無いのであれば、釘は美味しいとして考えるほかない。
そもそも、トリコは起床して下の階に下りるまでにも食事を続ける、生きる塊魂のような存在である。
さらに、船の移動に際しては、大量の食事を持参している。
このシーンでは「時間が空いたから食べる」ために食事を持参しているように見える。つまり、楽しみとして食事をしているのである。そんな食事でさえ、彼は妥協しているようには見えない。
であれば、トリコが口にする以上、釘が美味くないはずがないのである。
と同時に、これだけ食事を継続するのであれば、トリコは「何かを食べていないと落ち着かない」とも考えられないだろうか。ここに、トリコが釘を食べる最大の理由が隠されている。
「常に何かを食べ続けたい」という欲を満たすため、メニューに求められるものは何だろうか。
一つは、「食べるのに時間がかかる」ことである。少量でも多くの咀嚼が必要な「するめ」や、物量として大量に提供される「満漢全席」辺りをイメージしてもらえばわかりやすい。
そしてもう一点、非現実的ではあるが「食べても減らない」ことである。「繰り返し食べることができる」と言い換えてもいいかもしれない。
ズバリこれが、釘が他の食材に比べて圧倒的に優れている点であり、トリコが釘食を行う理由に他ならない。
繰り返すが、釘は消化されない。
ここで「食事を継続する」目的に対し「食べても減らない食事」は理想である、という前提に立ち、改めて考えて頂きたい。
「消化されない」は本当にデメリットなのか。
否。「継続して食事を行う」という目的に対し、「消化されない」という点は圧倒的なメリットである。消化されないということは、嚥下した状態そのままで体外に排出されることになる。
つまり、糞便と共に排出され、再度口にすることができる。
釘食と排便を繰り返すことで、トリコは無限の食事を可能としたのだ。
ここで、コピ・ルアク(現実の食材)の存在に触れておきたい。
ジャコウネコの糞と一緒に排泄されたコーヒー豆で、消化酵素や腸内細菌による発酵により、コーヒーに独特の風味が加わるのである。
であれば、トリコの体内でも同じことができるのではないだろうか。
釘+美味しい食材→トリコの腸内=ジューシィ・釘!
例えば「プールに果汁を一滴落とすだけでその水全てが濃厚で芳醇なジュースに変わる」とまでされる虹の実。虹の実と共にトリコの体内を通れば、さぞかし甘美な味わいの釘が排出されるだろう。口内調味ならぬ腸内調味だ。
「宝石の肉」はリーガルマンモスの体内に存在した。であれば、トリコの世界においては体内での食材の円熟は珍しいことではない。
そもそも、尋常でない "美味" とされる食材が、危険を冒してまで調達する食材が、一度体内に入り消化されたくらいで、その味わいを完全に損なうだろうか。
むしろ、糞便に漬け込まれることで、さながら釘は新たな美味へ昇華するに違いない。そうして生まれた釘を再度口にする行為は、消化されて尚輝きを失わない食材に対する、トリコなりの "敬意" と表現しても差し支えないだろう。
つまり、トリコが釘を食べる理由は「食事を継続し続けるため」であり、「食材を何度も楽しむため」であると考えられる。
フグやキノコ類のように毒のあるものや、調理が大変なこんにゃくなど、人類は様々な食材に対し挑戦し、手法を変え、食材を可食可してきた。
そこには先人の苦労と叡智が詰まっている。毒に当たった者もいたかもしれない。中にはそれで亡くなった例もあったかもしれない。しかし、それらの施行こそが、現在の食を支えていることは言うまでもない。
であれば、「釘を食べる」というトリコの行為も、新たな食文化の1ページである可能性は十分にある。
「釘を食べろ」という歌詞も、既存の価値観に囚われず、常に新しい世界を追求し続けろという、我々へのメッセージなのかもしれない。