魔王を倒した勇者一行の魔法使い・フリーレン。彼女はエルフで長生き。勇者・ヒンメルの死に何故自分がこんなにも悲しむのかわからず、人を“知る”旅に出る。僧侶・ハイターの葬送を機に、ハイターが育てていた少女・フェルンと魔法使いの二人旅へ。途中、戦士アイゼンの弟子・シュタルク、若き僧侶・ザインの二人も加わり、四人それぞれの目的をはたすべく、長い旅は続く…
本格“後日譚(アフター)”ファンタジー!!WEBサンデーより
あまりに今更な話ではあるが、今「葬送のフリーレン」が熱い。
【推しの子】の方が好きって言ってたけど。
この前「フリーレンは常時高得点を出し続けるタイプで、推しの子はたまに200点出すタイプだけど俺は後者が好き」と「こんにゃくは約束の日が5000000点だけど、常時高得点のパルフェの方が個人的には好き」って話を同じ時間にしてたんだけど、これ単純にコンテンツ消費に必要な時間の話な気がしてきたな
— プリパラ煉獄丸 (@Shakeboy877) 2021年5月21日
「常時高得点を出す」はかなり漠然としたもので特にこれと言った根拠も無い感覚的なものだったのだが、53話(単行本未収録)にてこの感覚の理由が落ちてきたので共有しておきたい。
本題に入る前に、タイトルの「一話完結じゃない一話完結」に触れておく。
元々は「バクマン。」に出てきた、伏線でなかった事を伏線に仕立て上げることにより今までがあるから面白く読まされ、かつ先の展開を期待させる一話完結という作劇の手法(及びそれにより作られた一話完結)である。
では「葬送のフリーレン」もそういう作り方をしているのかというとそんなことはなく、むしろ逆でフリーレンは一話完結しなくていい場面で一話完結を行っている。
好きな漫画の長編をイメージしてほしい。通常、長編は1つの長い話を分割する形で一話が作られている。単話の終わりはそのシーンの区切りか、次回への引きで終わることが多い。
一方フリーレンは、「後日譚」であることを存分に活かし、現在進行している物語「起」に対して「過去の話」で「承」「転」を作り、現在に戻り「結」で終わる構成を可能にしている。長い話を分割した1シーンというだけでなく、その話だけでも過去と現代の対比で一話を完結させている。
これが顕著なのが53話「人間の時代」である。
53話は迷宮攻略戦、フリーレン複製体をどう攻略するかという真っ最中。
その戦いはこのように締めくくられている。
この引きにも関わらず、フリーレン複製体は撃破出来ていない。普通に防がれている。アオリでも撃破した感満載であるにも関わらず、次話では冷静に「……防がれた」で始まる。
つまり、この引きは次話との繋ぎないし迷宮攻略戦の1シーンとしては若干違和感がある。しかし、53話単体で見た時にこの引きは真価を発揮するようになっている。
53話はフリーレンとフェルンが複製体と戦闘を開始するところから始まる。フェルンとのブリーフィングが挟まり、フリーレンの回想が入る。ゼーリエとの一幕で、人間が魔法を使い始める歴史の転換点の会話である。
千年で人間の時代がやってきて、エルフは追い抜かれる。フリーレンを殺す者がいれば、魔王か人間の魔法使いだ――ゼーリエはそう断言した。
53話は「迷宮(及びフリーレン複製体)の攻略」の一幕である。しかし同時に、フリーレン複製体を倒すという「起」、フランメが人類の魔法の開祖となった「承」、やってくる人間の時代への期待と「フリーレンを人間の魔法使いが殺す日が来る」という「転」、そしてフリーレン(複製体)が倒された「結」という非常に綺麗な一話完結になっている。
これは53話に限ったことではない。「葬送のフリーレン」において、現代の出来事に応じた回想を描き、そして再び現代で締める構成は多く用いられている。
例えば、22話「服従の天秤」。アウラが「服従させる魔法」を発動したのに対し、「魔力の制限」に関する回想が12ページ続く。22話は扉絵を除き21ページなので半分以上が回想である(というよりアウラ戦は戦闘シーンがかなり少ない)
あとは54話「
「葬送のフリーレン」が常時高得点を出し続けるタイプというのは勘違いでもなんでもない。過去の回想を巧みに活かし、単話としての完成度を高めた非常に計算高い構成が読者に単話としての満足度を与えるのだ。
という内容の記事を書いていたのだが、5巻収録の話は全然そんなことはなかった。
よって今回の記事の内容は速やかにお別れ頂いて、ただ読み返すキッカケか触れるキッカケになって頂ければ幸いである。
速やかにお別れ。
早々に、
葬送。