かしこまメガトンパンチ

遊戯王とマンガ中心の雑記ブログ

【プリパラ】最高の名曲である「0-week-old(ひびファル)」について語る

プリパラは好きぷり?

って愚問ですよね。日本人に味噌汁嫌いかって訊く人います?????

 

皆さんはプリパラが好きです。

みたいなエキサイト翻訳くらいのド直球でいいと思うんですよ。

 

ところで、一番好きな曲は何かと訊かれたら何と答えるでしょう。

 

無論この質問が星空を見上げて「どの星が一番好きか」を求めるようなものであることは言うまでもありません。

では、ライブに至るまでの展開も含めて好きな曲はと訊かれたら、106話「神アイドルグランプリ終了です」にて披露された「アメイジング・キャッスル」ですね。マネージャーしかいないステージでのライブでアラバスタが救われたことは言うまでもありません。

 

しかし、プリパラのステージは全てが一等星です。星の輝きに差が出るとすれば、遠いか近いかの違いしかありません。私たちは、それこそ宇宙の果てまで旅をするかのような心持ちで、プリパラと向き合わなければなりません。

今回向き合うのは「0-week-old -Falulul with Hibiki ver.-」です。

 

「0-week-old(ラブウィークオールド)」は111話「子連れ怪盗まほちゃん」で登場した劇中歌です。 

anime.dmkt-sp.jp

もっと言えばプリパリでのミュージカルの劇中歌でもあることが設定として存在します。

つまりこの曲は「ボーカルドールである少女」と「ボーカルドールに憧れる少女」の歌であり、同時に「ボーカルドールだった少女」と「ボーカルドールになれなかった少女」の歌でもあります。

この対比こそが「0-week-old」をプリパラ屈指の名曲に押し上げています。

 

0-week-old 歌詞

 

最終のサビ以外は「0-week-old(ゼロウィークオールド)」の歌詞が用いられています。「ボーカルドール」としての在り方の物悲しさと、愛する人に出会い変わる予感を感じさせる名曲です。

この曲を歌う「ボーカルドール」にとってそれは当たり前であり、疑問を挟む余地はありません。「何を不安と呼ぶ」「その身一つだけで踊れるならそれだけで構わない」という歌詞からは、感情の無いファルルはそれに対し何も感じることはない、という哀しさを聴く者に感じさせます。

また、「ゼロ」で歌われている「指先さえ世界に触れられずに生きてく」「私がまだとどまる透明世界」という歌詞から、「透明世界」は「世界(歌を聴く側)」とは別の世界を指していることが伺えます。輝きを求める存在であるファルルが歌う「透明」とは輝きの無い――言わば、救いの無いことを歌っているのでしょう。

しかし、紫京院ひびきが「透明」を歌うのであれば、それはどのような思いを乗せるでしょう。感情の無い、ただ歌い続けるだけの世界――それは、ひびきにとって理想の世界と言えるのではないでしょうか。

 

現実から離れ、自らの愛する世界で歌い続けるだけの存在になること、それがひびきの望みでした。

そんなひびきの描く「透明」は、嘘や偽り、人間の汚い部分の一切無い「澄み切った風景」のように思えてきます。

つまり彼女たちは、同じボーカルドールという設定で、同じ歌を歌いながら、正反対の世界を表現しています。

そして、片方が「輝きを理解出来ない虚しい存在」「望まずともそう生まれてしまった存在」、もう片方を「澄み切った世界を夢見る者」「それを望む者」と見ると、「ゼロ」の歌詞が大きく意味を変えます。

繰り返されるweekend 何を不安と呼ぶ?

何も持たないまま その身一つだけで踊れるなら それだけで構わない

指先さえ世界に触れられずに生きてく 今あるのは透明な感情だけ

誰もがみな誰かに愛されてる私を愛する人はどこにいるの?

「同じことの繰り返し、何がおかしいのかわからない」「それしか知らない、疑問にも思わない」「でも、私を愛してくれる人がどこかにいる、感じる」という哀しさと希望を表した「ゼロウィークオールド」。「はじまり」「未来」を連想させます。

しかし、ひびきが描くこの曲は「不安に思うことは何一つ無い」「歌い踊るだけ、それを何よりも望む」「この世界に別れを告げる」「自分を愛してくれる人物など、どこにもいなかった」であり、それは「絶望」と「別離」です。

 

このように、二人はお互いの立ち位置を活かし、同じ曲でありながら真逆の世界を描いています。

というよりは、「ボーカルドールでありながら人間の輝きに憧れる存在」の歌を、真逆のスタンスであるひびきが歌うことで新たな解釈が生まれるようになっています。

そして何よりこの曲を語る上で大事なのは、この曲は一期及び二期へのアンサーソングとなっている点です。

 

メイキングドラマが終わり、サイリウムチェンジと共に二人の目にハイライトが戻ります、「人間としてのひびき」と「目覚めのファルル」としての歌唱です。

そして、かつて「輝き」を理解できず無色の世界で生きた少女と、

歌以外何もない澄み切った世界を目指した少女は、

過去の自分に向け、こう語りかけます。

 

――むかしむかしの私、どうか諦めないで。

 

確かに、紫京院ひびきは真中らぁらの信念の前に敗れました。

プリパラを明け渡し、ボーカルドールになるという夢も幻と消えました。

 

それでも、彼女は後悔していません。

それどころか、昔の自分に贈る言葉「どうか諦めないで」なんですよ。

 

何が素晴らしいって、「輝きを理解出来ないマリオネット」「世界に絶望し、繰り返しを望んだ少女」を演じたラストサビでこれを歌う点で、まさに「一期のファルル」「二期(及びありえた未来の)ひびき」に対して「どうか諦めないで」と語りかけているのです。

なかなか本心を出さないひびきの、最大のメッセージがこの曲に隠されているのです。

 

――動き出すわ、笑みも痛みもある未来。

敗北し、夢を諦め、再び痛みのある世界に連れ戻されたにも関わらず、未来には”笑みもある”と歌う彼女。

その言葉から感じられるのは、他でもない、仲間や友達への最大限の感謝に他ならないでしょう。

 

まあ、神ステージ呼ばれなかったんですけど……。