「伏線」「前振り」と「ミスリード」は紙一重で、後から見返して初めて「伏線」と気付く描写もあれば、結末まで読むと「ミスリード」となる描写もあります。
五等分の花嫁で言えば、花嫁を連想させるものは「伏線」と呼べますし、その他の姉妹を連想させるものは「ミスリード」となります。
例えば風太郎の持っていた恋愛ガイド、帯に書かれているのは「勇気は愛のようなものである。育てるには、希望が必要だ」というナポレオンの台詞ですが、ナポレオンと言えば「四葉のクローバーを取ろうと身を屈めたら被弾を避けた」という逸話があります。こちらも「四葉が花嫁であれば伏線」「そうでなければミスリード」となる描写と言えます。
このような描写を積み重ね、五等分の花嫁という作品は形作られています。二乃の「ピアスは花嫁になるまでにあけられればいい」という発言も、二乃が花嫁であったならば「伏線」もしくは「前振り」となったはずです。
五等分の花嫁は一話で作中に登場する全ヒロインを出しつつ「花嫁は決まっている」と明言していたことで「作中の描写のどれかは確実に伏線である」ことが担保されていた点が作品の面白さに貢献していました。花嫁であるキャラの描写は間違いなく「作者が意図的に仕込んだもの」であるからです。
例えばの話「ニセコイ」で小野寺妹*1が正ヒロイン「かもしれない」描写があったとして、そこに対する考察、もしくは作品冒頭まで遡っての考察が真剣に行われるかというと疑問があります。
「いずれかは間違いなく真である」ことが担保された上で撒かれた前振り・伏線とミスリード、それらの絶妙な引っかかりは「五等分の花嫁」という作品の大きな魅力でした。
※あくまで「わかりやすくヒロインではない」喩えとしてニセコイを出しただけでどちらの構成が優れているとかそういう話ではないです。「花嫁は決めている」は盤外戦術的な部分もあります。
さて、五等分の花嫁二期では二つのエピソードがカットされました。
「リビングルームの告白」「勤労感謝ツアー」です。
修学旅行までを二期だけでやるとすると尺が足りないのである程度のカットは仕方ないと思いますが、逆に考えれば「探偵風太郎と五人の容疑者たち」は残ったと言えます。
そうやって作ったプロットを、春場先生を始め原作側のみなさんにチェックしていただいて、「このエピソードは大切だからやってほしい」「では、話数を入れ替えて対応しましょう」などと話し合いながら構成していきました。
一期の監督インタビューから構成は丁寧に行っていると考えられますし、削った・残したもある程度ちゃんとした理由があっての判断だと思います。
「勤労感謝ツアー」をカットするというのは今後の描写を考えるとなかなか勇気のある決断だと思いますが、では何故「探偵風太郎と五人の容疑者たち」は残されたのでしょうか。
つまり「探偵風太郎と五人の容疑者たち」には「花嫁に繋がる伏線があるはず」というのが今回の本題です。
まず「探偵風太郎と五人の容疑者たち」ですが、5巻収録35話、五つ子の見分けがつかない風太郎が、見分けがつかないなりに全教科0点の犯人を探す一話完結です。
一花が四葉をチラ見していたり、犯人はこの中にいるというコマで一花がアップになってたりと細かいところで描写がニクい一話です。
また、このお話は「五つ子を見分けられない」で始まり「五つ子を見分けられない」で終わります。
つまり、このお話は「風太郎は五つ子を(まだ)見分けられない」で一貫しています。
その証拠に、「二乃(※三玖)」「五月(※三玖)」などの名前を間違えているシーン以外は一箇所を除き名前を呼んでいません。お話全体を通して個別で名前を呼ぶ状況が描かれていないのです。
逆に言えば、このお話で風太郎は一回に限り正しく五つ子を見分けています。
四葉、白状しろ。
四葉、白状しろ。
「四葉」白状しろ。
え?????
「四葉」?????
いやいやいや、だってまだ5巻だし、四葉が風太郎に対してしたことって、
真面目に授業を受けて……
三玖との和解をサポートして……
らいはの面倒を見て……
健気な姿を見せて……
好きアピールして……
肝試し手伝ってもらって……
楽しい思い出になって……
あれ、もしかして……
おわり。
35話は単なる日常回ではなく、話の構成として
- 冒頭と締めで「五つ子が見分けられない」と話している
- 五つ子の名前を正確に呼んだのは「四葉」のみ
と作られています。つまり、このお話も四割くらいは花嫁に繋がる話として作られており、それゆえにアニメでカットされなかった可能性があったりなかったりするかもしれません。
まあここで名乗ってますが。
*1:原作75話より登場・主人公に恋心を抱くが途中で決着